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共和政ローマの民主化プロセスを 論ぜよ[世界史4]

共和政ローマは紀元前509年エトルリア人の王を追放することにより始まった。
ローマが領土を拡大する過程で重装歩兵である平民(プレブス)が活躍し、発言力を強めていった。
紀元前367年のリキニウス=セクスティウス法では、執政官の一人を平民から出すこととすると共に、大土地所有を制限した。
紀元前287年のホルテンシウス法では元老院の承認がなくても平民会の決定のみで国法が成立することになった。

(注)この記事は歴史好きの答案です。模範解答かは不明。間違いがあるかも。
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民法

アテネの民主政完成のプロセスを 論ぜよ[世界史3]

ペイシストラトスらの僭主政治の反省を踏まえ、独裁者が出ないよう紀元前508年クレイステネスが陶片追放の制度を設けた。
その後、紀元前500年ペルシア戦争がはじまり、マラトンの戦い・サラミスの海戦などで平民が活躍し発言権を増していった。
アテネはペルシアの再度の侵攻に備えたデロス同盟の盟主となり、民会での合議による直接民主政が確立し、ペリクレスによる黄金時代を迎える。
但し、アテネの直接民主政は女性や奴隷に参政権を認めないなどの問題も孕んでいた。

(注)この記事は歴史好きの答案。模範解答かは不明。間違いがあるかも。